自分に自信を持つと、生徒は妥協しなくなる。
その時に発揮する力は、本当にすごいと思います。
東京での出版社勤務を経て、教師の道へ。
大木島先生が教師になった理由を教えてください。
私は大学院を出た後、東京の出版社に11年間勤めました。そこは教科書を作っている出版社で、私は日本各地や世界の国々を取材でまわっていました。そんな中、仕事で浜松学芸高校を訪問した際に現在の校長である内藤純一先生から「その経験は教師にむいているよ」と評価していただき、その言葉がきっかけで教師になりました。「取材してきた経験を生徒たちに直接伝えてほしい」と迎え入れていただきました。
世界を実際に見たからこそ伝えられることとは、どのようなことですか?
たとえば一般的に、バングラデシュは世界の中でも貧しい国だと言われています。だから日本人はバングラデシュに対して「貧困でかわいそう」「幸せではない」というイメージを持っているのですが、実際に行ってみると人がすごくエネルギッシュで、イキイキと暮らしている。「貧しいからといって必ずしも不幸なわけではない」ということが、自分の目で見ると分かるんです。そういう、世界の本当の姿を生徒たちに伝えることを期待されたのだと思います。
東京から浜松に移ることについては、どう感じましたか?
私の地元は浜松なのですが、東京に家を買って骨を埋めるつもりで働いていました。でも、夜の10時とか11時の電車で帰ってくると、ランドセルを背負った塾帰りの小学生が同じ電車に乗っているんです。自分の子供はのびのび育てたいと思い、子育ての環境として地元の浜松を見つめ直したのもその頃でした。
浜松が子育てに適した環境だと考えたのですか?
環境が整っているという以前に、単純に「あの頃は楽しかったな」と思ったんです。友だちと川原でキャンプして一晩中たき火をしながら喋ったな、とか。自分の中にある楽しい思い出の多くが地元の中に凝縮されているのだと、外に出て初めて気がつきました。高校時代までの私は、早く浜松を出たくて仕方なかったんです。浜松には遊ぶところもないし、刺激もない。そう思って東京に出ました。でも東京で長く生活して改めて振り返ると、思い出されるのは地元のことばかりだった。実は地元の浜松ですごく良い経験をしていたのだと気づきました。
生徒の中の固定概念を壊すことが私の仕事。
そうした先生ご自身の経験をふまえて教えてください。
先生が指導する高校生たちにとっても、地元の魅力というのは気づきにくいものですか?
はい。初めは全然気づいていないですよ。地域創造コースでは1年次に「プロジェクト型学習」として、地域と関わる5つのプロジェクトを経験しますが、最初は地元について知らないことばかりです。そこから意識が変わるきっかけになるのが、地域の人たちと関わる経験です。各分野の専門の方が、熱意を込めて生徒たちに話してくださいます。その思いに触れる中で、「自分たちの地域にはこういう魅力がある」「魅力をこういう風に伝えていきたい」という気持ちが高まってきます。このプロジェクトは私一人の力でできるものではありません。地域のたくさんの方が私たちの活動を理解し、支えてくださっています。
地域創造コースの3年間の学びについて教えてください。まず、1年次はどのような能力を身につけますか?
1年生は、自分の力で自走するための準備期間です。いろいろな角度から地域を見て、郷土理解を深めます。最初に学校紹介のポスター制作を行いますが、まず形にすること、完成させることを目的とします。その後は少しずつプレゼンテーションを重視し、「思考」の方にウエイトを置いていきます。
2年次になって変わることは何ですか?
2年生から「クエストエデュケーション」に取り組みます。この活動のポイントは、地域の課題を自分自身で見つけることです。それが一番難しく、生徒たちは苦労しています。アイデアを出すきっかけになるのが、「浜松に住みたくない理由は何?」「浜松に何があったらいいと思う?」という身近な視点での問いかけです。芋づる式にアイデアを出し、自分の中のフックに引っかかるものを探します。そうして実際に商品企画やイベント、CM制作などを行い、課題解決につなげていきます。
生徒が大きく伸びる瞬間というのは、どのような時ですか?
自分が考えてきたことを他の人に伝えようとした時に、大きな革新が起こります。自分が良いと思うことを人に伝えるためには、形になるものを作り込んで見せなくてはなりません。そのためには「いま何が求められているの?」という受け手の視点が重要で、発信する側の視点とつなげる必要があります。2020年度に、浜松市のPR動画『浜松戦隊ヤラマイカー』の企画や制作を行った時が、まさにそうでした。最初は「カッコいいものを作ろう」と言っていたけど、いろいろ考えた末に最終的にはカッコ良くないものになった。本当のヒーローというのは特別な存在ではなく、自分たちの身近にいる大人、地域でがんばっている大人たちなんじゃないか。そういう本質を突いたコンセプトをポンと言ってきて、「それだ!」と言った瞬間がありました。
そういう発想を引き出す際に、先生が大事にしていることはありますか?
「面白いね!」と肯定してアイデアを受け止めることです。「YES」という言葉で受け止めた後、「BUT」と否定するのでなく、「AND」とつなげていく。「じゃあその次は?」「それから?」と聞いていきます。私たちの活動では、アイデアの着地点を最初から決めることはしません。教師があらかじめ落としどころを決めてその道すじたどっていくやり方がありますが、それだと教師の評価軸にたどり着くことが目的になってしまいます。まったく主体的じゃないですよね。そうではなく、自分たちの好きなことをやるのがうちの活動の特徴です。「○○であるべき」という固定概念を壊すことが私の仕事だと思っています。
「観光甲子園」連覇の原動力になった、危機感。
活動内容を発表するコンテストは何年生から出場しますか?
1年生の時から参加します。2020年度も、1年生だけのチームで大会に出て、全国の名だたる高校の3年生と戦ってきました。その差は歴然で力が及ばなかったのですが、そうして時には厳しい評価を受けることも大切だと思います。一方で、ほめてもらうことももちろん大事です。どんな形であれ、他者評価をもらうことが大事だと思います。
外部の人の評価を受けて成長することがありますか?
そうですね。厳しい評価を受けると生徒たちは悔しがるのですが、その結果をいったん受け止めると、次にどうしたら良いかを聞いてきます。何がだめだったかを理解できればそこから成長できるのです。こんな例もありました。2019年度の観光甲子園(全国高等学校グローバル観光コンテスト2019)」で優勝した時のことです。その大会は3年生が主体で、2年生はサポートする立場でした。その2年生たちは、優勝した瞬間にすぐ次の年のことを考えたようです。「同じ学校が来年も高い評価を得るのは難しいのでは」と。「それでも勝つためにはどうすれば良いですか?」と、帰りのクルマの中で聞いてきました。そうしてもう一度ゼロから地域の魅力を掘り起こし、理論を構築した結果、2020年度の観光甲子園でも優勝することができたのだと思います。
卒業の進路も、そうした主体的な姿勢の中から見つかってくるのですか?
そうです。いろんな切り口で地域とのかかわりを体験した中で、自分が何に共感し、共鳴したのか。そのポイントを見つけることが進路につながります。たとえば、浴衣のデザインやCM制作を通して表現の面白さにめざめ、芸術系の学部に行く生徒もいますし、地域のことを真剣に考えたいと思って地域政策系の学部に進む生徒もいます。他には、カレンダーなどの商品を販売する中で経営やマネジメントに興味を持つ生徒や、企業の経済活動に関心を持って経済学部に進む生徒、そして私のような教師の姿を見て次世代の子どもたちを育てたいと考え、教育学部に進む生徒もいます。「この偏差値だから○○大学の○○学部に入れる」という、輪切りの考え方ではないです。
学力やテストの点数だけではない力も大切ということですか?
はい。テストの点数だけで進路を決めたり、「決められたことしかやってはいけない」と押しつけたりすることはしません。好きなことを思い切りやった方が楽しいし、そこからイノベーションが生まれると思うからです。初めての経験、たとえば4時間ぶっ続けでおにぎりを握った時に、初めて見えてくるものがあります。風変りなおにぎりを考える生徒もいますが、それでも否定はせず、「斬新だね!」と言いながら一度はやらせてみます。そうやって生徒も教師も笑いながら、楽しんで取り組むことが大事だと思っています。